(平成19年2月1日〜)

阿波研造範士

阿波研造範士

 明治13年宮城県生まれ。仙台藩における日置流雪荷派の木村時隆師に学び免許皆伝。後に江戸竹林正面打起し射法(後世に本多流と呼ばれる)を本多利實師に学ぶ。明治43より二高弓道師範を木村時隆師より引き継ぐ。東北帝国大学、仙台第一中学校弓道師範でもある。昭和2年大日本武徳会弓道範士。大日本射道教(大射道教)を開き、自ら教主となる。昭和14年没。門人多く、研造没後の大射道教々主・神永政吉範士、安沢平次郎範士、全弓連会長であった中野慶吉範士等々。

 自分は理屈を大切にする方だと思っており、特に弓道では殊更です。和弓の基本的・物理的な特性を無視した非合理的弓道論や、診療放射線技師という仕事柄、骨や筋の働きにも少々知識がありますので、筋骨の働きを全く無視した見た目だけの弓道論、弓に体を合わす事を忘れ、見た目から射を構築していく弓道論などには、非常に注意して接しております。批判に受け取られるかもしれませんが、自分を十分に納得させることが出来ない弓道論では、真剣に稽古に臨むことも出来ず、「弓」自体全く面白くないものに成ってしまいます。そんな自分を十分得心させ、離れがたい弓の面白さに誘ったのが「日置流印西派(日置当流)」であり、書籍や動画でしか触れることが出来なかった「稲垣源四郎範士」であったわけです。

 稲垣先生と阿波範士・・・!?。少々知識のある方ならお分かりと思いますが、稲垣範士と阿波範士や本多流は水と油の様な関係であると言っても良いかもしれません。細かいことは述べませんが、技術論で大きな差異を認めます。ただ、目的論の違いや発達史で色々と違いがあることは、それはそれで良いかな?と思いますが、全く賛同できない部分があります。離れの時に弓が手の内から飛び出す解釈です。本多流系統以外では必ず「失」です。殿様の前で是をやれば閉門蟄居確実です。しかし、本多流系統でも的方向へはさすがにダメなようですが、弓返り後に体の後ろへ弓が飛ぶことを「弓が背中を走る」と言って、稽古の一過程では非常に推奨しているとのこと。ただ、最終的には離れ時に手の内は締めるモノであるという解釈には安心しています。弓を取り落とせば、弓は傷つくし床も傷つきます。どう考えても完全な「失」です。弓道家がどんな理由でも、道場や道具を粗末にして良いという場面はありません。当時も今も「投弓術」と言って揶揄されるそうですが、私も全くの同感です。

 まあ、こんな私ですが、なぜ阿波範士を取り上げたかと言いますと、米国の「YouTube」というWebSiteで、たまたま阿波範士の動画を発見した事にあります。阿波範士の写真はよく見かけますので、阿波範士の動画であることと、非常に貴重なモノであると言うことは直ぐに分かりました。何回も何回も繰り返し繰り返し拝見しました。そもそも日置流雪荷派の免許皆伝なので日置流歩射に通じる所もあり、正面系の弓として考えても非常に素晴らしい「射」でした。今後の稽古で参考になる部分もありました。阿波範士が広めた抽象的な弓道論には全く賛同できませんし、本多流の技術論にも諸手をあげて賛成できません。また、大射道教や本多流の道場の床には、弓によって作られた凹みで一杯であった事実には閉口しますが、阿波範士の「あの射」は深く印象に残る事になりました。

 「あの射」を見るには、阿波範士の写真をクリックして下さい。

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