弓歴
弓歴といっても、試合で優勝したこともないし、審査に積極的に挑戦しているわけではないので、思い出を綴っている状態です。
試合や審査などに積極的に参加して、もっともっと「上」を目指していきたいものです。
平成17年2月21日
平成5年4月
徳島県立 富岡東高等学校 普通科に入学し、弓道部に入部しようとするも、今まで男子部員が存在していなかった事を知り愕然とする。数日考えた後、一念発起して弓道場のドアを叩く。
(男子1期生の誕生)
徒手による八節の練習中に、大学院を出たばかりの新人教師に女子とは違う引き方を教わる。その先生は女子の先輩方に男子のみに斜面打ち起こしを認めてもらっていた模様。
(斜面打ち起こし・日置流印西派との出会い)
その先生が、高校卒業後も私の師匠となる。暫く、男一匹の修行が続いたが、いつの間にやら、五人立ちで試合に出られる人数が確保出来る。誰かがきっかけを作ると、後は続いて来やすいのだろう。
平成5年9月
3級認許
平成5年11月
2級認許
平成6年4月
初の後輩の誕生。男子の後輩は結果的には2名と少数であったが、女子は非常に多人数で、道場が狭く感じられた。また、様々な経緯があって、この女子の後輩以後の富東弓道部は全部員が斜面打ち起こしとなる。→
富東は何故斜面打起しになったか?
1級認許 (1回不合格)
平成6年8月
女子の先輩がインターハイで個人準優勝の快挙を達成。準優勝の銀メダルを拝見する。
平成7年4月
審査の数日前に、ユガケの腰(親指の付け根あたり)が折れていることを顧問の先生に指摘され、審査の前日になって、先生が以前使っていたユガケを当分の間お借りすることとなる。(現在も自宅の押入に眠っている・・・)
初段認許!!
2回不合格 していたので、今回の審査で不合格であれば初段を諦めようと考えていた。また、前日の夜に初めて使い始めたユガケを用いたので、合否どころではなく射で精一杯だった。それが逆に奏功したのかもしれない。
平成7年6月
県総体で個人準決勝に「×○○○」で1つコマを進めるも、結果「○○××」で、心の弱さを先輩後輩が見守るなか露呈し、高校現役を引退する。しかし、富東弓道場での稽古自体は、卒業するまでほとんど毎日続くのであった・・・。
平成7年7月
ユガケを顧問の先生にお借りしている状態なので、思い切って購入することを決意。しかも、弓をずっと続けていく覚悟だったので、直接埼玉の与野にある「千葉弓具店」さんに注文しに行く。手形をとって頂き、色んなお話をする。ちょうど入院中の稲垣先生の話になり、退院後に使用するユガケを制作中との事。また、入院中の病院を教えて頂き、「お見舞いに行ったらどうですか?」と勧めて頂いたが、ちょっと身分相応の対応ではないと思いお見舞いを見送る。後になって考えれば、行っておくべきだった・・・。非常に大きな思い出となったことだろう。
平成7年11月
ショックな出来事!!
日置流印西派免許皆伝 範士九段 稲垣源四郎先生がお亡くなりになる。(11月17日没 享年84)
顧問の先生は直接指導して頂いたり、稽古風景を幾度も見学したとの事。優れた弓の技術力、弓道具に関する知識、歴史等の知識など、稲垣先生の凄さは顧問の先生の言葉だけで十分に伝わってきた。一度直接射を見てみたかったし、お話をしてみたかった・・・。
平成8年4月
富岡東を卒業後、大学の弓道部には入部せずに、徳島県弓道連盟那賀支部に入会する。
(那賀支部との出会い)
また、時間にゆとりがあるときには、富東弓道場に出向き、後輩達に混じって弓の稽古をしたり、稽古を見たりしている。
(現在は出向く回数こそ減ったが、継続中。)
平成8年9月
千葉弓具店さんからユガケが届く。現在もお世話になっております。
平成9年3月
私の師匠であり顧問の先生が異動により富東を去る。教えを請う回数が激減する。射が非常に乱れ、早気がさらに悪化し、工夫稽古や、精神面の強化をせざるを得ない状態に陥る。
(暗黒時代の到来。早気克服後は試合でも上位に入賞していたが、1年も持たず崩壊。射に迷いを生じ始めた時期。)
平成9年6月
後輩(自分が3年時の1年)が、男子団体で県総体準優勝、女子個人の部では、県で2位となりインターハイ出場を果たす。頑張ったのは彼等なのだが、自分も非常に嬉しかった。
平成12年6月
弐段認許
平成13年2月
参段認許
平成13年4月
徳島県弓道連盟那賀支部の会計を担当する。
平成14年12月
この頃の射
2寸伸弓力16s 週3回程度の稽古
平成15年2月
Web上で偶然知り合った岡山の徳山弓道場の方を通じて、徳山弓道場に弓を引きに行き、徳山師家の指導を受ける。非常に良い経験であったことは言うまでもない。
平成16年6月
弓の調子が良い時期が続いていたので、4段を受審する事を決意。しかし、当日朝の練習から弓が全く体に近づかない。また、本番で射場に入るなり浮き上がり、さらにビクを出して玉と砕ける・・・。
根本的に自分の射を見つめ直す契機となる。この審査では失敗したが、逆に得るモノは沢山あった。この審査を境に、自分の中では新しい弓の世界に入っていったような気がする。
平成16年10月
京都の
「柴田勘十郎」
弓店で、4寸伸び 弓力23sの竹弓を購入。当初は20sぐらいと考えていたが、柴田氏とお話している内に上記の弓力となる。購入後色々とあったが、何とか弓に遊ばれない様になる。体の使い方によっては、まだまだ強い弓が引けそうな感じがするが、現在の稽古量からすれば、これが限界か?
平成17年11月
18日
東京へ行く用事が出来たので、埼玉の「千葉弓具店」さんに立ち寄り、ユガケを修理に出す。
(詳しくは「弓道のこと」中のちょっと東京へ(弓関連)で。)
19日
東京の帰りに岡山の徳山弓道場に立ち寄る。
(詳しくは「弓道のこと」中のちょと岡山へで。)
25日
職場の慰安旅行で京都に行くこととなり、慰安旅行では異例の弓を持参しての京都。柴田勘十郎さんのお店へ。
(詳しくは「弓道のこと」中のちょっと京都へ(弓関連)で。)
この頃の射
柴田勘十郎 4寸伸 弓力23s 週3回程度の稽古
平成18年4月
所属支部で弓道教室が始まる。
2人目の娘が誕生したり、弓道教室の影響もあって週1程度の稽古量に激減。教室終了後も週1回程度の稽古しか確保出来ず、弓力23sを維持出来なくなり、一燈斎 弓力20sをメインで使用開始。
平成19年3月
この頃の射:その1
、
この頃の射:その2
一燈斎(鹿児島に直接注文) 4寸伸 弓力20s 週1回程度の稽古
カンがどんどん鈍り、ビクが多発傾向に・・・。
平成19年5月
右手指の腱鞘炎を悪化させ治療。
直心Tカーボン(高2夏購入) 2寸伸 弓力16sを暫定使用開始。
平成20年3月
柴田さんに打って頂いた、4寸伸 弓力18s の弓を使用開始。
平成20年8月
柴田勘十郎 4寸伸 弓力18s 1張りで夏場をしのいでいた為、かなりのお疲れモードに・・・。京都出張のついでに名古屋の翠山に立ち寄り、一燈斎で同じ弓力のモノを購入しようと考える(関西には一燈斎をあまり置いていない)。しかし、非常に感じの良い20sの一燈斎を見つけ諦められず結局購入してしまう。これより勘十郎 18sと一燈斎@翠山 20sを併用することに・・・。
31日
この頃の射
一燈斎@翠山 4寸伸 弓力20s 週1回程度の稽古
平成20年11月
この頃の射
(24日)
この頃の射
(30日)
一燈斎@翠山 4寸伸 弓力20s 週1回程度の稽古
平成21年6月
3人目が出来て稽古が週一以下になり、離れの感覚を忘れてビクりまくり。とうとう発射出来ない所まで到達し、心が殆ど折れて廃弓を意識する。しかし、「弓のくせ、射るにましたる薬あらしな」を思い出して、気合いを入れ直す。子供や嫁の稽古許可を頂いて、30分でも引けそうならば道場へ行くことに。勘十郎18sで頑張っていたが、稽古量が増すに連れ、弓が段々弱く感じだして再度酷いビクに襲われる。弓の抵抗力!?をひしひし感じられるように一燈斎20sを引っ張り出す。試行錯誤、悪戦苦闘、自己のビクの原因を少しずつ解明して、ちょっと増しな射がちらほら出ることも・・・。
この頃の射
(13日) ,
8月頃の射
平成21年10月
また酷いビクに襲われて、弓力を落とし巻藁中心に一ヶ月くらい調整。勘十郎さんはお疲れモードでしたので、某オークションで落とした 4寸伸 弓力18s@都城系を使用。弓手の整え方から自己流を排除して、本に書いてある通りに遣ってみる。
・手首を曲げずに手の内を作る(手首・肘・肩が一直線)
・浦上栄先生の本にある「折違の力」の実践
平成21年11月
弓力を落としても、慢性的な縮みと弛みに悩まされる。鈍い離れしかできない・・・。
・馬手の捻りに、右肘のあり方。
・取り矢した時としてない時の違い。
・弓手が堪えうる負荷を考慮しながら、引き分けていくこと。
この頃の射
(18日)
この頃の射
(22日)
平成22年2月
射を色々いじっている内に矢束が縮んでしまい、修理後大人しく眠っていた柴田勘十郎2寸伸び(弓力18s強?)を使用。
さらに試行錯誤で、結局引きが4寸推奨モードになっているが、弓の調子が良い柴田弓を継続。(弾きそうで怖いのですが・・・)
様々な問題の芽を摘んでいるのに、別の所に新たな芽を見つけてしまう・・・。出来不出来の差が激しく的中は5割くらい。
この頃の射
(21日)
週2回、1時間程度の稽古量
平成22年4月
2寸伸びの柴田勘十郎内竹に故障が発生。
弾いてないモノのこれを使用していくのは弓が可哀想で気が引ける。
一燈斎4寸伸び(弓力20s)を使用開始。
8月頃の射
平成22年11月
酷いビクに悩まされ、万策尽きて再度弓力を落とす。
色々と記録を付けており過去をのぞくと、毎年同じような時期にビクで悩んでいる模様。表面的な修正法でその場をしのいできたことの顕れ。根治が得られず堂々巡りを繰り返し・・・。少しでも切っ掛けをと思い和帽子を投入。
12月12日の射
柴田勘十郎 4寸伸 弓力18s 週2回1時間程度稽古 和帽子。
平成23年5月
3月の頭にはそこそこ良い感じになってきて、少々弓力上げようかな?と思う様に。学会か出張で東京へ行った際に、久しぶりに魚籃坂のお店によって森茂夫の弓をと考えていました(11月頃まで使っていた一燈斎より少々弱い程度)。
3月9日の射
(柴田勘十郎 4寸伸 弓力18s)
その後、3.11の震災と津波と原発事故の報道等で気分が滅入り、稽古に行っても気分が乗りきらない状態になり調子も徐々に下降。弓購入の考えも薄れてしまいました。
5月3日、突然仕事・家庭ともフリーに。京都大会が開かれている事に気が付き、弓屋さんが沢山来て弓が一杯並んでいる事を想像。ふと、良いのがあれば買おうかな?と。自宅から京都までは通常4時間弱で着くのですが、渋滞を考えて7時に出ればお昼頃には着くと踏んで出発。しかし着いたのは2時過ぎでした・・・。
お店を一通り回りましたが、結局柴田さんのブースに落ち着いてしまいました。色々とお話をして、お勧め弓とその弓の対抗を出して貰い悩みに悩みました。気に入らねば断るつもりでしたが、予定弓力より少々強い感じのお勧め弓に惹かれしまいお持ち帰りに。実際に引いたところやはり
ちょっと強いかな
?
平成24年6月
公私ともに何かとばたついて、最近は月に1回しか稽古に行けなかったりすることも・・・。目標を単純化してポイントを絞り慎重に引いています。離れ間際の縮みと弛みはなかなか・・・ですね。
6月現在の射
(柴田勘十郎 4寸伸 弓力20s程度 : 昨年の黄金週間に購入)
平成24年9月
少しはマシになったかな・・・。
難しいですが、この動画はまだ良い方です。
9月現在の射
(柴田勘十郎 4寸伸 弓力20s程度)
平成25年4月
繁忙の為、那賀支部事務局・会計を退任させてもらう。
平成25年5月
埼玉の千葉弓具さんにお願いしていた「
ユガケ
」が届きました。
良い感じです!!
5月現在の射
(柴田勘十郎 4寸伸 弓力20s程度)
平成25年11月
月1・2回の稽古量です。
切れがある離れだと思っても動画では・・・。それよりも、矢数掛ける事が出来ないのが一番辛い。稽古時間を工面しても直ぐにバテバテ。
稽古最終版に差し掛かった頃(20射超)。
11月現在の射
(柴田勘十郎 4寸伸 弓力20s程度)
平成26年2月
森茂夫銘の良い弓があったら購入しようと昨年末に長谷川弓具さんへ行ってきました。しかし、もう弓を制作していない事に加えて在庫も自分に合うものは「0」になっていました・・・。お店の人と色々話している内に「
東郷誠
」という弓の話になりまして、今後に期待し頑張って欲しいという意味を込めてちょっと強かったですが1張り購入しました。
2月現在の射
(東郷誠作 4寸伸び 弓力20kg超)
(週1程度で稽古して何とか引ける様になりましたが、春に入ると何かと忙しく月1ペースに戻っています・・・)
平成26年10月
東郷誠→新弓なのでお店に言われた通り梅雨時分はお休み。
梅雨と暑い時期は一燈斎を使っていました。
7月の射
(一燈斎 4寸伸 弓力20s)
秋の風が吹き始めて東郷誠とも思いましたが、久しぶりに柴田勘十郎と思い弦を張りました。
10月の射
(柴田勘十郎 4寸伸 弓力20s)
9月は全然引けませんでした・・・。
今後は週1回を目指して実際は月2回程度は弓引きたいなと。スタミナ不足は矢数掛けない事にはどうしようもありません!
平成27年5月
4月の例会に数年ぶりに参加したところ、体配は間違えるは大きなビク出して失するはで大変情けない気持ちになってしまいました。月1の稽古が続き3月は一本も引けませんでしたので様々なものがどんどん失われていく事は分かっているのですが、あまりにも寂し過ぎるのでちょっと無理して稽古量を増やしました。現状週1ペースを保っています。いつまで続くのでしょうか?
5月の射
(最初の一手 : 柴田勘十郎 4寸伸 弓力20s)
(次の一手 : 東郷誠作 4寸伸び 弓力20kg超)
平成27年10月
結局、月1〜2回程度の稽古量となりました。
10月の射
(一燈斎 4寸伸 弓力20kg)
少しでも稽古回数を増やすことを目指します。
自己の射を客観判断する為、動画をちょこちょこUPしていきます。
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〜以後続く〜
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