真善美と中貫久


 一般的に弓道の最高目標は真善美と言われています。全く異論は無いのですが自分の中では余りにも抽象的ですので、具体的な目標として中貫久を目指しています。それでは真善美を無視・否定しているのか?と言われそうなのですが、自分の中で真善美と中貫久を結びつけながら稽古しています。

・真善美の「真」と中貫久の「中貫」
 矢は的の中心を狙った上で正しい技術を講ずれば、矢は真っ直ぐに飛行し的の中心を射抜きます。これが「真」です。狙い所から寸分でもずれる事があれば真ではない技術を講じた証拠ですし、狙い不正で的心に的中させたとしても誤魔化しであり真ではありません。また、狙い所に矢が飛行しても、弓力相応若しくはそれ以上の貫通力が備わっていなければ何処かに射の不正がある証拠で、その射もまた真ではありません。
 ここで「正しい技術とは何ぞや?」という基本的な問題が登場するのですが、弓道教本2〜4巻を見て頂ければお分かりの事と思いますが、大局的には射法八節に則りながらも、射法制定委員の方々でさえ様々な正しい技術が存在するのです。各々が決めた技術体系で「真」を追い求めて一射一射探求する姿が弓道・求道と言えるのでしょう。

・真善美の「善」と中貫久の「久」
 技術の精確さや不断の向上心を維持する、つまり「久」を体現し続けるには心・精神の安定・平常性が重要視されます。的中・順位・賞品・段位に囚われては心の安定は望めず、自分本来の射をも行えない状況に陥ってしまいます。従って弓道では特に平常心・静かな心が必要とされ、安易な的中や名誉を欲する心を諫めて、何事に対しても平静の心境で取り組む事つまり「善」が求められます。

・真善美の「美」
 弓道に於いての美しさとは何か?射形、弓の成り、矢、カケ、離れ、射礼、体配など色々美しさの基準があると思いますが、これはあくまでも個人的な趣向、その時代の流行により見解がそれぞれ異なり、此処での「美」には当て嵌まらないと思っています。では「美」といえば何を指すのでしょうか?それは謙虚に弓に取り組み、射礼・体配も含めて、一射一射「真・善」、「中貫久」を追求・体現しようとする姿勢を他者が見て初めて「美」であると認識されるのだと思います。「美」は目指すモノではなく、目指すべきは真や善であって、真や善に謙虚に近づいていこうとする様が「美」であると自分では認識しています。

 一般的な真善美の解釈と一部異なった点があるかも知れませんが、あくまでも私自身の考え方です。私の所属している支部や日置流の方々とも関係ありません。自分が勝手に言っている事ですので、この私見に対する意見があれば私自身が受け付けます。

(平成21年7月25日)


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