弓返り考


 最近は米国のサイトである「YouTube」に代表される、動画投稿サイトが流行していいます。弓道に関しても貴重な動画がぽつぽつ投稿され、稲垣源四郎範士、阿波研造範士の射など貴重な映像を拝見することが出来ます(KeyWord:kyudo)。投稿者の気分次第で削除されてしまう場合もあるので、いつまでYouTubeの検索に引っかかるかは分かりません。

 Web全体でも言えることですが、ごく一般の射手の映像も散見されるようになってきました。YouTubeでは海外の方が日本文化の紹介の意味で、射の動画を本人の同意無く(多くの場合)投稿している様に思います。そのような動画を見ていますと、常に「あっ、う〜ん・・・。」と考えさせられるシーンがあります。「弓返し」です。「弓返り」ではありません。正面・斜面の違いがあっても、会、又は詰合い・伸合いは天地左右に伸びることが絶対条件です(当たり前ですが)。私が言う事自体どうかと思いますが、伸びに上手下手があるにせよ、どんな射手でも一様に頑張っています。しかし、射のクライマックスとも言える「離れ」において、矢筋に伸び続けなければならない所を、矢筋の伸びを停止させ、左手をパッと開いて弓を「ブルン」と無理矢理回し、矢摺籐まで弓をズリ落とし、握り直して改めて残心を修正・・・。矢筋の伸びを止めて一連の動作を行っていますので、反対側の右手も緩みがちです。何故何故?どうして弓が返らなければならないのでしょうか?別に弓なんか返らなくても良いと思います。弓が返らないのは伸び不足、手の内・角見が正しくない証拠です。

 高校時代の弓道部顧問で私のお師匠さんが、稲垣源四郎範士のエピソードを紹介していました。稲垣先生は早稲田大学の学生の頃から「角見の稲垣」と呼ばれたとか呼ばれてなかったとか・・・?。その稲垣先生が弓手を開いて弓を無理矢理回している射手が多いので、「角見はギュッと締めて効かすモノですから、弓手を緩めないでも弓は返ってしまいます。」と言い、矢を番え、手の内を整えて斜面の弓構えを完成させ、弓手をガムテープでぐるぐる巻きに固定して弓を引き始めました。打起し・引き分け・三分の二・詰合い・伸合い・ヤゴロ・離れ、・・・弓は返りました。高校生の時は弓なんか返っていませんでしたので、にわかには信じられない話でした。ただここ数年、日に数射ですが弓の軸がぶれずに弓が返えることを体感出来るようになりまして、何となく「弓手を締めても弓は返ってしまう」感覚が分かったような気もします。弓手を「ギュッ!」と締めて効かせば効かすほど、弓の返りが早くなり、断然強く早い矢飛びになります。ただし、現在の自分では非常に困難な技術なので、大概は馬手の緩みや、ビクを誘発するという惨憺たる有様・・・。

 なぜ、多くの射手が「弓返し」を行っているのでしょうか?残心で弓が返っていないと何かまずいことがあるのでしょうか?そもそも私は、「残心=射の鏡」だと思っています。自分の技術の結果が残心としてに形に表れます。弓が返らなということは手の内・角見がまずい証拠ですから、それを真正面から受け止め、重点的に稽古すればいいのです。決して、弓返りの稽古ではなく、手の内・角見の稽古です。その成果が的中・矢飛びに直結し、副次的に弓返りが起きると思います。
 批判と受け止めないで欲しいのですが、Web上の掲示板でよく見かける書き込みに、「参段以上は弓返りしなければならない。」とか。にわかに信じる事が出来ませんでしたが、称号持ちの先生がどうも本当に言っていたらしいのです(どこの都道府県の方かは分かりません)。どういうバックグラウンド・意図があっての発言かもわかりません。ただ、この発言の表面だけを受け取り、審査のために無理矢理弓を返している射手が日本各地に割と多くいるようです(Webが一般的になる前から、どうも各地にこのようなことが言われていた模様)。弓返りの為の稽古!?、本末転倒した考え方で非常に残念なことです。いつの時代から「弓返し(回し)」が行われるようになったのでしょうか?弓道が多くの一般人に普及しだした、明治末期・大正期でしょうか?それとも日本の弓道史上、ある意味過去と断絶したとされる、大東亜戦争敗戦後に復興した弓道からなのでしょうか?資料が手元にないので何とも言えないところです。

 最後に、稲垣先生のエピソードをもう一つ。「講話稲垣源四郎先生講話 角見の働きと離れの時機」から。
 ある日、稲垣先生が浦上道場で稽古されていて、的の星にポンポン的中させていたところ、控えで見ていた浦上栄先生(稲垣先生の師)が一言、「稲垣さん、ちょっと後ろ狙ってるんじゃないですか?」。稲垣先生の狙いも見ていないのに、どうして的中心の後ろを狙っていると仰ったのでしょうか?つまり、「角見が弱いのに、的の中心に中る筈がない。」と仰りたかったのです。稲垣先生は背中に冷や水を掛けられた気分になったとか・・・。
 映像では、昭和末期・平成期における稲垣先生の射を拝見したことがあります。初めてその映像に触れたときには、「これが角見の稲垣か!」と、驚愕したものです。かなりお年を召してからの射でしたが、私をより一層深い弓の世界に誘う結果となりました。特に角見は年を感じさせない強さ・鋭さで、非凡さに溢れています。その稲垣先生の壮年期の射といえば、想像出来無いほど素晴らしいモノであったことは考えるに難くありません。しかし、その壮年期の稲垣先生に、「稲垣さん、ちょっと後ろ狙ってるんじゃないですか?」と仰った浦上栄先生って一体・・・。稲垣先生が一生の師と仰いだ理由がそこにあるのでしょう。
平成18年11月9日
(追記 : 2007/02/14)
弓道リンクで紹介している「KenさんのBLOGS」で、稲垣先生の角見動画が最近公開されました。70歳頃ということですが、強さ、鋭さ、方向・・・、まさに理想的な角見です。


また、稲垣先生の師である、昭和の名人・浦上栄先生の動画も公開されています。喜寿のお祝いに製作された映画の一場面です。


(追記 : 2008/03/24)
色々と為になるブログ「KenさんのBLOGS」で、稲垣先生の角見動画が新しくアップロードされました。伏せた弓の軸をぶらさずに角見を効かす。弓のすりこぎ運動で小指の付け根にマメが出来ている私には羨望の技です。


(追記 : 2008/09/05)
ken先生のブログより。
馬手の離れや体の割り込み等の非常に参考となる浦上栄先生の動画が公開されました。浦上栄先生の高速度撮影の写真はよく見かけますが、その撮影は昭和初期に海軍の一部署で行われました。その時に撮影された貴重な動画です。Webが未発達な時代では到底お目に掛かることが出来ないであろう事を考えると、恵まれた時代に生きていることに感謝しなければなりません。


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